みなさんこんにちは。「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟高知県本部」の幹事で、玉ちゃんと申します。大勢のみなさんの前で発言の機会を与えてくださいましてありがとうございます。
 一度聞いただけではとても覚え切れない程長い肩書きを先程言いましたが、略して「チイホウ同盟」または「チイホウ国賠同盟」などと普段は言っております。略しすぎて「チホウ同盟」と言った仲間も一人だけいますが、こうなりますと意味合いがまた違いますのでご注意ください。
 私達が「治安維持法」で犠牲になった人達に謝罪と賠償を日本政府に求めて32年になります。昨年までに累計で300万人の個人署名と11万の団体署名を、国会に届けました。去年は114人の国会議員に請願を託しましたが、誠意ある回答は得られていません。こういう無責任な政府に、謝罪と賠償を勧告して欲しいと、4年前から国連の人権小委員会で訴えております。過去3回は残念ながら四国から代表をだすことができず、今回初めて高知県を代表しまして、私が国連に行く事になりました。しかも、みなさんの貴重なカンパで行かせていただきます。ここにお集りのみなさまにもたくさんいただきました。遅くなりましたがお礼を申し上げます。ありがとうございました。帰ってきてからも報告集会だなんだかんだとお金がいりますので、まだの方は宜しくお願いいたします。
 旅費だけで50数万円もするこの活動に、多くのみなさまの賛意を得ることができましたのは、N高知県本部事務局長をはじめ、同盟員の方々の過去および現在の活動の正しさだと思います。そして戦争の足音が堂々と聞こえてくるようなこの時代における、我が同盟への期待も感じられます。もうひとつ言わせていただければ、ここ数年、あちこちで見かけるようになった、玉ちゃんという、ちょっと誰かに似た男に、もっと成長してもらいたい。こんな想いも込められているんではないかと、私は勝手に解釈しております。
 ドイツの10代の若者の2/3が「ホロコースト」という言葉の意味を知らない、と先日の新聞にでていましたが「治安維持法」も若い方の中には知らない人が増えているのが現状です。今朝もチラシを配っていましたら、年配の女性に「なんのチラシぞね」と問われましたので「治安維持法云々」と説明をはじめますと「70過ぎのおばあにそんな難しいこというても分からん」と言われました。そこで「戦争に反対するチラシです」と言うと「そらええ、戦争には反対せないかん。戦争したちえいこたひとつもない」と言って受け取ってくれました。忘れてしまったのかもしれませんが、70過ぎの方が治安維持法を知らなかったことにショックをうけました。ですからこの法律がどんなものだったのか、少しだけおさらいしたいと思います。当然私は当時生まれておりませんし、研究者でもございません。ですから、ここにおいでる諸先輩方が私などよりずっと詳しく、それゆえ、わかりやすく説明できると思いますが、今日は私に花を持たせていただきます。
 1925年、天皇家を中心とする時の刻み方で言いますと、大正14年に普通選挙法と抱き合わせで治安維持法は制定されました。典型的なアメとムチですが、アメをもらったのは男子だけです。一方、ムチの方は3年後の1928年には早くも最高刑10年が、死刑に改悪されてしまいます。以降敗戦により廃止される1945年まで猛威をふるうわけですが、20年間の間に逮捕された人数十万人、送検された人75,681人、死刑判決、これは朝鮮の方ですが18人、明らかな虐殺80人以上、拷問・虐待による獄死114人、病気による獄死1,503人にのぼっています。
 一口にいって、この法律の本質はどういう点にあるのでしょうか。四つに分けられます。 
 第1に、戦前の天皇制政府が侵略戦争を推進するための法的武器であったという事です。制定6年後の1931年に戦争は始まっています。
 第2に、治安維持法は、人類普遍の原理に反する悪法として、デッチあげ、拷問、虐殺など、驚くべき人権無視の弾圧体制を確立して、日本全土を暗黒支配のもとにおきました。
 第3に、治安維持法による弾圧は、けっして共産主義者やその支持者にたいしてだけおこなわれたのではなく、政府の政策に批判的な国民はすべて弾圧の対象にされました。
 第4に、治安維持法にもとづく弾圧は、朝鮮での死刑判決でもわかるように、とくに植民地で猛威をふるい、民族独立闘争をようしゃなく圧殺しました。
 余談ですが、治安維持法の思想検事の第一人者で「思想検察の大親分」とも言えるような池田克なる人物は、戦後公職を追放されていましたが、1952年4月、講和条約が発効したとたんに追放が解除され、その2年後に最高裁判所の判事となり、更に松川事件の主任判事にもなっています。これと対照的なのが寺西元判事の件です。ほんの数年前の事件なので、ご記憶の方も多いと思いますが、当時仙台高等裁判所の判事であった寺西さんは「盗聴法」反対集会のパネリストとして出席を予定していましたが、圧力がかかり断念。「パネリストとしては発言できない」と、お断りの話を壇上からしました。たったそれだけのことで「思想が片寄っている」と裁判官を罷免されました。寺西さんと比べて池田克は片寄っていないとでもいうのでしょうか。
 さて、ここからが本題ですが、驚いたことに日本政府は犠牲者にたいし賠償はおろか、謝罪すらしていません。同じ敗戦国のドイツでは連邦補償法で、ナチスの犠牲者153,000人に、年間1人あたり約80万円の年金を支給しています。またイタリアでは、ファシズム体制下で実刑を受けた「反ファシスト政治犯」に終身年金を支給しています。戦勝国のアメリカやカナダでは、第二次世界大戦中に強制収容した日系市民に補償および謝罪をおこなっています。そしておとなり韓国では、治安維持法による逮捕・投獄者には、民族独立運動に貢献した愛国者として大統領が表賞し、懲役1年以上の犠牲者には年金を毎月16万円支給しています。本来ならば、こんな事は日本の政府がやるべき事ではないでしょうか。
 みなさんご存知のように、諸外国では、レジスタンス運動家や治維法犠牲者は英雄であり、祖国の誇りです。なのに、日本ではそうなっていないところに問題があります。命をかけて侵略戦争に反対した彼等を、私は日本の良心、誇りだと思っています。犠牲者のひとり、太田まちさんは3年前、91才という高齢をものともせず、国連で訴えました。その時の通訳で、23才のパリの学生は事前に治維法を勉強して、時には涙を流して通訳してくれたそうです。そして同盟中央本部の齋藤事務局長の訴えにも、年を追うごとに共感の和が拡がっています。言葉が通じない人達とは気持が通じあえるのに、言語が同じ日本人になぜ私達の思いが届かないのか。20世紀に起こったことは20世紀中に解決を!そう思って取り組んでいます。
 先程の太田まちさんが、屈辱的なリンチにあいながらも、なぜそこまで頑張れたのかをこう語っています。「自分達の民主政治が近くなっているという事が楽しみだった。私達には希望があった。絶対に自分達の望んでいる方向に歴史は動く」と、そして「学習しないといけない。そうでないと光がさしている方向や、それが正しいのか悪いのかがわからない」とも。あの時代に希望をもって未来を見据えていた唯物史観のすごさを感じます。また、権力に屈せずに闘うことが、いかに人間を成長させ、誇りを保たせるのかも、考えさせられました。
 みなさん、学習しましょう。そして光の方向を見定め、正しいとわかったら一気に行動に出ましょう。幸い、戦前非合法だった共産党の方々が合法的に活動されています。私達チイホウ同盟も高齢化はしましたが、言い換えれば、経験豊富な猛者ぞろいです。この経験を生かして、21世紀を戦争のない平和で、住み良い世紀で迎える為に、みなさまと共に頑張ることを私は誓います。 
 
●「人類普遍の原理」
日本国憲法は全文で
「主権が国民に存することを宣言」し、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基く。
と、うたっています。